【防弾少年団】BTSが完成するまでの過程をまとめてみた(グループ結成まで)

日本国内でも知らない人はいない、世界で活躍するアイドルグループ『BTS』。

人気はK-POPファンの中だけにとどまらず、大衆からの人気を集めている圧倒的存在になりました。

そんなBTSのメンバーはどのようにして揃ったのか、気になりますよね?

この記事を見ている方の多くは、BTSが好き、最近BTSを好きになって気になるという方だと思います。

「BTSをもっと知りたい!」という方におすすめの内容となっておりますので、最後までご覧いただけたら嬉しいです。

RMから始まったBTSの物語

RMは全国模試の成績上位1%に入るほど頭の良い学生でした。

その前から、ラップが好きでHIPHOPのコミュニティサイトに自分のラップを投稿していたそうです。

将来は地元の有名大学に通い、医師や弁護士になることを期待されていましたが、ラッパーとして活躍していきたいということを母親に熱弁し、進路を変更したのだそうです。

RMのラップを聴いたUntouchableのメンバーSleepyが、知り合いであるBigHitエンターテインメントの代表パン・シヒョクに紹介しました。

RMのラップを聴いた代表は、「グループを作りこの子をデビューさせなければならない」と、強く思ったそうです。

ここからRMを中心とする、BTSの物語が始まります。

SUGA、J-HOPEが集結

そして次々と、今のBTSメンバーが集結していきます。

SUGAは小学生の頃にHIPHOPグループ『EPIK HIGH』に憧れてラップの作曲をはじめました。

自身が活動していた地元のアンダーグラウンドのチームがもっと良い環境で音楽活動ができるようにしたいという思いから、ソウルに上京しBigHitのオーディションを受けたのだそうです。

オーディションに合格したSUGAは、BigHitに所属してプロデューサーとして活躍できると思っていたが、代表からは「1TYM(YGエンターテインメントのグループ)のようなHIPHOPチームを作りたい、 踊りはほどほどでいいからラップを一生懸命にやりなさい」と説得され、練習生になりました。

その後、練習生をしながら生活のために事務所に内緒で配達のアルバイトをしていました。その時にバイクで事故をし、肩を怪我してしまったのだそうです。

クビになる覚悟でこのことを正直に事務所に話すと、怒られたものの、SUGAのことを理解して学費などを支援してくれるようになりました。

そしてもう1人、J-HOPEは地元でストリートダンサーをしており、「スマイルホヤ」という名前で活動していました。

地元の人たちからBTSのことを「あのチョン・ホソクがいるグループ」と言われるほど有名なダンサーでした。

通っていたダンススクールでBigHitのオーディションが行われたそうです。

オーディション形式は、スクール内にカメラを設置して、参加者の自由な姿をみるという特殊な形で行われました。

休憩時間になり関係者が外にでたあと、J-HOPEは2~3時間ひとりで踊り続けたのだそうです。

審査員はその努力する姿を評価し、無事合格しました。

練習生になったあと、J-HOPEは一度BigHitを退所することになったのだそうです。

そこをジョングクが泣きついて止めたそうです。最終的には、事務所やメンバーのみんなで引き止めて、戻ってきてくれました。

この3人でラッパーメンバーが決定

ラッパーメンバーが3人揃い、当初パン・シヒョクが言っていたように、HIPHOPグループとしてデビューをするはずでした。

しかし、ここから方向性は変わってきます。

ジンというHIPHOPグループとは雰囲気の違ったメンバーが合流し、事務所側はアイドルグループ結成を目指すようになるのです。

ジンが合流

ジンは俳優を目指して建国大学の映画芸術学科に通っていました。

大学に通う途中、BigHitの関係者から「こんなイケメン初めて見た!」とスカウトされ、練習生になりました。

練習生になるまで本格的な歌やダンスを経験したことがなかったため、他の練習生に負けないように一生懸命努力をしたのだそうです。

練習は基礎の発声練習からはじめたそうで、ジンを教えていたボーカルの先生は「一番印象に残る練習生だった」と話していました。

ジンは頼もしいメンバーの長男でした。グループ内でマンネ(末っ子)のジョングクがホームシックになってしまい、ジンは元気づけるために自分の実家に招きました。

すると、「ここを第二の実家だと思って」という言葉をジョングクにかけたそうです。

ジンは長男として「弟たち(メンバー)を何が何でも守る」と決めたのだそうです。

ジョングクが合流

ジョングクはBIGBANGのG-DRAGONに憧れ、歌手になるという夢を持ちました。

中学生の頃、オーディション番組「スーパースターK」で歌を披露しましたが、予選脱落をしてしまいました。

しかし脱落後、JYPやSTARSHIPなど7社から声がかかったそうです。

その7社の内のBigHitに見学しに行ったところ、ラップをするRMを見かけ「かっこいい!」と思い、入所を決めたのだそうです。

ジョングクは代表のパン・シヒョクに「ダンスに感情が無い」と言われ、1か月間アメリカのダンス研修に行きました。

その経験から、一時期は歌手よりもダンサー1本でやっていきたいと考えるようになりました。

このことをジミンが必死に引き止めましたそうです。

しかし歌は高く評価をされるものの自信がなかったため、移動中などの隙間時間に歌の練習をするなどコツコツと努力していたそうです。

「秘密兵器」のVが加入

Vも「歌手になりたい」という夢を持っていました。

それを父に話したところ「歌手になりたいなら楽器を出来たほうが良い」と言われ、3年間サックスを学んでいました。

地元の大邱で開催されるBigHitオーディションを受けたいと両親に話したところ反対されてしまったため、オーディションを受ける友達の付き添いで会場にいきました。

すると、BigHitの新人開発チームのスタッフに声をかけられ「ぜひオーディションを受けてほしい」と言われ、両親の許可を得て受けることになりました。

結果は合格。大邱の非公開オーディションで唯一の合格者となりました。

デビュー前、V以外のメンバー6人はBTSのメンバーとして公開されていました。

Vがデビュー直前まで公開されなかった理由は「イケメン過ぎて、他の事務所に取られるのではないかと心配だったから」と話していました。

まさに「秘密兵器」と言われるだけあるエピソードですね。

最後にジミンが入りBTSが完成した

ジミンはすでに舞踊界では才能が知られていました。

芸術学校に首席で入学しており、ダンスの実力者が揃う舞踊科の中でも1位2位を争うほど成績が良い生徒でした。

先生からの推薦で釜山で開催されるBigHitのオーディションを受けたところ、無事合格しました。

ジミンが練習生になるころには、すでにデビューメンバーやポジションが決まっていたため、自身がデビューできるか不安だったのだそう。

それに他のメンバーは2~3年の練習生期間があったのにも関わらず、ジミンは1年間という短い期間のなかでデビューを果たさなければなりませんでした。

そのため、朝4時までずっと練習をし2時間後には起きて学校にいくというストイックな生活をしていました。

努力家であることを認められ、無事デビューすることが決まり、今のBTSが出来上がりました。

まとめ

今ではK-POP界で圧倒的人気を誇るBTS。

やはり世界でヒットするグループが出来上がるまで、メンバーはデビュー前から計り知れないほどの努力や苦労をしていましたね。

メンバー1人1人の個性がより理解できるような内容だったと思います。

この記事を読んでいただいて、さらに応援したくなった方もいれば、「メンバーがこの7人で良かった」と感動している方もいるかと思います。

これからもみなさんでBTSを応援していきましょう。

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